梅干日記 その 紫蘇を仕込んで、紫蘇に学ぶ。

  • 2012.07.02 Monday
  • 12:02
 
 つい、たまたま観た、バスケ女子五輪最終予選にハマッてしまい、ココ数試合ゴッツリ観てしまった。昨夜も深夜、眠い眠いと言いながら、ついつい最後まで観てしまった。
 何か、最後の最後は、こんな展開になりそうだなぁ〜と予測しつつ観ていて、ああ、やはりソウかという結果にも動揺はなかったが、ガックシした。
 大神はシビレるなぁ。
 アノまことちゃんみたいなヘアースタイルに、本田を凌ぐ凶暴な表情、マシンガンのような喋り、生命力満載の元気プレイ・・・・スバラシイ!
 あんな逸材がいたのだ。知らんかった。残念でした。 吉田もエカッタ!

     
 さて、梅がカメの中で土用干の夢を見ている頃、カメの外では秘かに犹臍秒鳥勠畧渋し弉茲進められていた。
 茎から引きちぎられ、見るも無残な姿になった紫蘇葉は水洗いされ



ギュッとしぼられ



水分を抜いたら



ガッガッと塩揉みされ



情けないほど小さくなった紫蘇は、傷に塩されるようにさらに塩揉みされ・・・・・



コレを何度も繰り返し
まぁこんなモンか、というようなテキトーなトコロで、コレが紫蘇の葉か、というほど原形を留めないショワショワになったまま、ギュウ〜と両手で団子状に丸め込まれてしまうのです。
で、コノままでジッと爛愁了瓩鯊圓弔里任后



コノ状態になると、紫蘇本人も意識朦朧となり、自分が元々何者だったのかもアヤフヤで、自立した生活を望むコトはムズカシイ。
いわゆる要介護状態である。

では、コレで紫蘇の人生は終わってしまったのかというと、ソウでもない。
後日、梅酢に投入され、カメの中でフワ〜とクシャクシャの葉を広げると、また意識が戻り、第二の青春を謳歌するのである。
コノように、人生は「今が青春だ」と思うときが青春であり、年齢によるモノではない、というコトを紫蘇から学ぶコトができるのであります。
(やや強引で、若干理論破綻しているようにも感じないワケでもなく、意味不明といえば意味不明ですが、何となくココロに響くような錯覚を覚えるような理屈のような気もします。が、詭弁です。コノ世は、良いハナシだと錯覚させるマヤカシに満ち溢れているから、気をつけなければならない。)

と、書いておる本人が何を書いておるのかよく分からん場合もあり、他人に分かるハズもない。
     
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